善光寺(1) 無宗派???他 学んだ事

 2025年11月27日長野で開催された炭素材料学会年会の特別講演で善光寺・事務総長 若麻績(わかおみ)享則氏が講演され、善光寺が無宗派で有る事等を勉強したので、記録を残す次第です。

善光寺は400以上在る?

  師によると、642年に信濃国の本田善光が都に上った折、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りなったものの崇仏・廃仏論争で難波に放置されていた「一光三尊阿弥陀如来」(絶対秘仏)を見つけて飯田にお連れした。645年に長野に創建されたお寺を本田善光にちなんで善光寺と名付けてご本尊を祀られた。1555年武田信玄が川中島の合戦の折、組織ごと甲府に避難した。1598年に信州善光寺にお帰りになられた。「一光三尊阿弥陀如来」の身代わり(模造)として造られた前立本尊を数え年で7年に一度御開帳している。等々を知りました。

 このように善光寺は転々と移動した結果あちこちに善光寺が在るようなので、ネットで調べたところ、正式には119ケ寺、「善光寺式阿弥陀如来」を祀る寺は440も在るようです。

善光寺は無宗派だった⁉⁉⁉

「一光三尊阿弥陀如来」がお亘りになった6世紀には日本の仏教が宗派に別れる前で、その仏像を本尊として祀っていることから、特定の宗派に属さず分け隔てなく万民を救済する寺として、多くの人々から信仰を集めてきました。但し、運営は、大勧進(天台宗)と大本願(浄土宗)という両宗派が一年交代でお勤めしているとの事でした。

「牛に引かれて善光寺詣り」

 無宗派で庶民の信仰を集める善光寺を象徴する言葉に「牛に引かれて善光寺詣り」があるが、その由来は地元の民話だといわれている。

 昔、今の小諸市に近い村に信心薄い老婆がいた。ある日、川で布をさらしていると、どこからか牛が現れ、角にその布を引っかけて走って行った。老婆は布を取り戻そうと牛を一生懸命追いかけ、60km先の善光寺までたどりついたところで牛を見失い、仕方なく善光寺の本堂で夜をあかすことにした。すると夢枕に如来様が立ち、不信心を諭した。目覚めた老婆は今までの行いを悔いて善光寺如来に手を合わせた。家に戻ってみると、牛が引っかけていった布が観音様の肩にかかっていた。それが現在の小諸市にある布引観音だ、という話。

善光寺(1) 無宗派???他 学んだ事” に対して1件のコメントがあります。

  1. マキちゃん より:

    善光寺さんは50年ぐらい前と20年ぐらい前の2回行きました。最初のときはお数珠を買った記憶があるくらいですが、20年ぐらい前のときは高さのまちまちなご開帳回向柱に感動したのを覚えています。ご開帳のたびに柱を建て、だんだん短くなって最後は土の中に埋まってしまうのだそうですね。回向柱というのは阿弥陀さまの分身といわれたような気がする。
    門前町で食べた御膳そばと大豆みそが超々美味でした!! もう一度食べたい❢

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